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負の遺産 セネガル共和国にあるゴレ島

ゴレ島

セネガル共和国 登録年:1978年 登録基準:*1(ⅳ)

ゴレ島の位置

▶奴隷が取引された三角貿易の拠点

 ゴレ島は、黒人奴隷を主要商品のひとつとした三角貿易の拠点であった。15世紀以降、ポルトガル・オランダ・イギリス・フランスの支配を次々と受け、奴隷貿易が廃止された1815年までに、多くの黒人たちを奴隷としてアメリカ大陸に送り込んだ。島の東岸には、奴隷貿易のシンボルともいえる「奴隷の家」が残る。2階は奴隷商人たちの住居で1階には船の出港を待つ奴隷たちが収容されていた。2.6四方の正方形の部屋に、20人が鎖でつながれて詰め込まれていたといわれる。島の北端には、フランスによって完成されたエストレ要塞が歴史博物館として残っている。

世界遺産・ゴレ島-780x440 - Jardin francais

引用:世界遺産・ゴレ島-780x440 - Jardin francais

*1:建築技術や科学技術の発展を証明する遺産